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2023年7月 大教会長挨拶

 本日は、皆さんにはそれぞれお忙しいところと、暑さ厳しい中をも遠近を問わず七月の月次祭にご参拝をいただきまして、誠に有難うございました。また、日々は教祖百四十年祭、大教会創立百三十周年記念祭に向かって、たくさんのお力添えとご丹精を下さり、誠に有難うございます。

 本日は土曜日ということと、こどもさん達が夏休みに入ったということで、少年会のこども達が大教会にたくさん来てくれましたので、とても賑やかで大変有難く嬉しく思っております。そして、このこども達が楽しみにしている夏のこどもおぢばがえり開催まで、残すところ五日となりました。現在、城山でおぢばがえりの団体をされる教会では、慌ただしく最終の準備をされているところだと思います。

 このこどもおぢばがえりは、教祖七十年祭を二年後に控えた昭和二十九年(1954年)、こども達が夏休みを利用して、親子揃っておぢばでひのきしんに汗を流す、「こどもひのきしん団参」という名称に始まりました。ちょうどこの頃は、「おやさとやかた」のふしんが始まった頃で、こども達にふしんに使う土を運んでもらうことにより、伏せ込みと信仰の喜びを味わうようにと、企画されたものであります。そして、第一回は「こどもひのきしん団参」という名称の通りにひのきしんが中心となり、その間に交歓行事や、映画会が行われました。そして、この時に天理教の歴史が始まって以来、初めて十万人を超えるたくさんのこども達が、おぢばに帰られたのであります。それ以後毎年開催されることになり、第三回から名称も現在の「こどもおぢばがえり」と改まって、内容もひのきしんに加えてお楽しみ行事が企画され、昼・夜にわたって多彩な行事が展開されて、おぢばはこども達の楽園となったのであります。そして、今年こどもおぢばがえりが始まって、六十九年目の夏を迎えさせていただきます。

 私達お互いは、今年のこどもおぢばがえりでこども達を育成・育てる側として、お世話どりをさせていただきます。世間では昔から、「木を育てることはこどもを育てること」と、言われているように、木を育ててゆく作業には、人間のこどもを育ててゆくのと、同じような心の配り方が必要であると思います。

 お道では少年会員の成長段階を、生まれてから小学校までを「めばえ」、小学一年生から三年生までを「ふたば」、小学四年生から六年生までを「あおば」、中学生を「わかぎ」、と例えて、このように、やがて将来の「ようぼく」を目指して成長する段階に分けられています。これは、木を育ててゆくのと同じような心遣いを、こども達の育成に注いでゆきなさいという、深い思いが込められているのだと思います。

 親という漢字がありますが、親という漢字は立木を見ると書いて親と読むように、苗木から大木へと丹精込めて育てる段階の中で、心暖かく細かく見守り、成長の程度に応じた適切な修理と肥を施してゆくところに、育て主である、親としての苦労があり喜びがあるのだと思います。ですから、私達も今年のこどもおぢばがえりを先を楽しみにして、こども達を暖かく見守りながら心込めてお世話どりをさせてもらい、そして、こどもおぢばがえりの楽しい思い出が、将来ようぼくへと育っていただけるつなぎとなってもらえるように、育成者として精一杯心尽くしていきたいと思います。

 さて、今年も早いもので後半へと入り、三週間が過ぎました。そこで現在、皆さんそれぞれ教祖百四十年祭、大教会創立百三十周年記念祭に向かうの大きな時旬の中で、精一杯自分にできる旬の種まきをして、伏せ込まれているところだと思います。

 教祖のお言葉に、「この道は、人間心でいける道やない。天然自然に成り立つ道や。」と、このようにお教えいただきますが・・・キュウリの種を植えればキュウリの実が出来、ヒマワリの種を植えればヒマワリの花が咲く。このことは当たり前のことですが、それがもしも全く違う結果になったなら、種の通りの結果が見えなければ、不安で仕方がありません。何事も種通りの行い通りの、結果がお与えいただければこそ、期待と共に楽しみがあります。親神様の懐住まいとお聞かせいただくこの世界は、すべて天然自然、天の理に沿って成り立ち、私達は日々生かされているのであります。

 私達お互いは、今大きな時旬の中で伏せ込ませていただいているお互いであります。世間一般では、「ひたむきに取り組む」という言い方がありますが、「ひたむき」という言葉は、一生懸命・健気に・一途に・真面目になどの意味を含んでいます。このことが私はとても大事だと思います。なぜなら、私達人間こどもがひたむきに、一生懸命・健気に・一途に・真面目に頑張ってつとめている姿を、をやである親神様からご覧になれば、「いじらしい」とお感じになられると思うんです。をやが「いじらしい」とお感じになれば、必ず救いの手を差しのべてたすけて下さる。親神様のご守護の元は、「いじらしい」と感じていただけるかどうかにあるように思います。

 ですから、私達お互いはこの大きな時旬の中で、親神様にいじらしいと感じてもらえるよう、ひたむきに自分にできる伏せ込みの種を精一杯蒔かせてもらい、旬のご守護を頂戴できるように、勇んだ日々の歩みを進めさせていただくことを七月の月次祭の良き日に、皆さんと堅くお誓いを申し上げて、本日の挨拶とさせていただきます。有難うございました。